普通じゃなくてもいいじゃんね?

トランスジェンダーの生き方って?

あまり面識のない人とお話していて
久しぶりに「ニューハーフ」という言葉を、
聞く機会がありました

自分がどんなふうに生きているか
そんなお話をしていく中で、
「踊ったりするの?」って聞かれて
何のこっちゃと思ったら

どうもわたしが自由な時間で、
ニューハーフさんみたいに舞台に立ってると
そう考えたみたいで

ああ前のわたしみたいだなって思いました
15年くらい前にこの生き方を始めた頃
わたしも同じように考えていたからです

 


わたしは自分の普通を暮らしてます

わたし前は額縁屋さんの工房で、
今は知的障害のある人のグループホーム
人の困りごとを解決して生きてます
これがわたしの今の普通

たぶんその人は関心がなくて、
ステレオタイプなイメージで済ませてた

だからわたしがトランスジェンダーと聞いて
思い浮かんだ最初のイメージがニューハーフ
その人の中で性別を超えた人の普通は、
ニューハーフさんだったんでしょう

知らないことは仕方ないですから
話していったら、
「ああそうなのね」ってなりました

 


みんな自分の普通を生きている

それぞれの人が、
それぞれの普通を生きています

「普通」か「普通じゃない」か
これはある種の決め付けです
決め付けると、
型にはまった部分しか見えなくなります

舞台で歌ったり踊ったりする人の普通は、
わたしの普通とは違いますが
それは違うってだけで、
相手が「普通じゃない」わけじゃありません

「この人の普通はどんなだろ?」
こう考えると、
違いも楽しいものになるでしょう
みんな自分の普通を生きているのです

 


まとめ:普通じゃなくてもいいじゃんね

他人の普通に合わせて生きることが幸せなら
それは構いませんが
もし苦痛なら、
無理して誰かに合わせる必要はありません

自分の「普通」は、
自分の立っている場所にあります
それが他人の普通と違うのなら、
胸を張って「普通じゃない」人になればいい

わたしは最初、
自分の違いを「それでいい」と思えず
他人の目に嘲笑の影を探しては、
ビクビクしてましたが

今は何とも思いません
わたしはわたしだからです

幸せは結果
精いっぱいやった結果です
どんな生き方でも、
自分の普通を胸張って、
精いっぱい生きてれば幸せはある

そのためなら、
他人の「普通じゃない」人でも構わないよね
そう思うのです

 

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自己肯定感を上げるには⑰~ありがとうの多い環境を作ろう

自己肯定感を高めるために、
どんなことをするのがいいか?

前回は
「人を足し算で見ると楽、
引き算で見るのはしんどい」
というお話をしました
http://xgender-isao.hatenablog.com/entry/2019/10/02/000055

人に対し引き算の評価をしていると、
100点は必ず0点になります
足し算の評価なら、
0点もいつか100点を超えてゆきます

これは言葉だけのことじゃなくて、
実際の人の力にも影響のかあることです
自分なら、
どんな風に見られたら嬉しいでしょう?
そんなお話しでした

さて今回は前回の補足、
ありがとうの多い環境の力についてです

 


類は友を呼び

足し算引き算のブログでも書きましたが
似た人は知らず集まるものです

あんまり違う考え方だと、
ぶつかることが絶えなくなりますから
自然と関係は離れていきます
近い考え方の人は、
離れずに残り続けた人ですね

身近な人が近いタイプの人ってことは、
身近に流れる言葉にも同じことが言える
そういうことです

さてここで考えてみると面白いことですが
自分の周りには、
どんな言葉が流れているでしょうか?

 


責める言葉があるのなら

他人を責めるときは、
たいがい自分が同じことをやってるときです
片方だけってことはほとんどない
であるなら、
周りで誰かを責める言葉を聞いたなら、
そこには同質の応酬があるってことです

周りの言葉に責め言葉が多いとすれば
自分のあり方を見直すチャンスです
自分に同質のものがあって、
それが返っている可能性が高いからです

そこに自分が感情的になる部分があるなら、
ほぼ間違いないと思っていいでしょう

 


ありがとうが増えました

知的障害のある人たちに関わるようになって
わたしは「ありがとう」の機会が増えました
何かやってもらえることが、
当たり前じゃない環境だから
何をしてもらってもありがたいのです

今までは、
周りができて当たり前だって思ってた
それでできないと周りを責めていたんだけど
ずいぶん傲慢なお話ですし、
結局それは自分に返るんですよね

今のありがとうも、
わたしに返ってきています
気難しいと言われる人も、
普通に接してお手伝いしてくれる
みんなも楽しげで嬉しいなと思います

他人に向かうものと自分に向かうものは、
やっぱり底でつながっているのだと思います

 


まとめ:発したものが返ってくるから

自己肯定感を上げるために
自分の発する言葉を選ぶことは、
非常に大きな意味を持ちます

責めるような言葉がいけないとは言いません
強い調子で自分を守る必要がある場合も、
ないとは言えませんから

ただその場合も、
言葉の捉え方と表現の仕方で、
ずいぶん結果も変わるものです

嫌な言動には嫌な結果が、
嬉しい言動には嬉しい結果が返るのだから
自分がされて嫌なことはしない方がいいし、
言われて嫌なことも言わない方がいい

そんなのを意識するだけでも、
いろいろ変わってくよなぁ
そう思うのです

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伝える積み重ねを大切にしよう

伝えないことは見えない

自分は分かっていて言わないでいること
「言わなくても大丈夫だろ?」
って思っていること
周りは本当に大丈夫でしょうか?

伝えたことは見える
伝えないと決めたことは見えない
これはまあ分かりますよね

それじゃ「どちらでもいい」と判断して、
特に理由もなく伝えなかったことは?
答えは簡単
伝えられていないのだから見えません

人の内面は意外と見えていないのです
さて冒頭の質問ですが
本当に伝えなくて大丈夫でしょうか?

 


伝えられていないことの意味

伝えられていないことは本来無色です
伝える側からすれば、
さほど意味はないことが多いでしょう

これが伝えられる側から見たとき、
意味が変わることがあります
物事の意味を決めるのは受け取る側で、
沈黙にも意味は考えられるからです

2割が語られること
2割が語りたくないこと
残り6割が「どちらでもいいこと」とすると
この6割の意味付けで、
ずいぶん印象が変わることが分かります

お互いの関係性がよければ、
この6割は好意的に解釈されます
関係性が薄ければ中立的な意味でしょう
ここまではあまり問題もありませんが

何かしら行き違いがある場合、
これが問題になることがあります
天秤がより大きく傾く可能性がある
実際よりもずっと否定的に、
伝わることがあるということです

 


歯が痛かったこと

もうずいぶん前になりますが、
歯が痛くてしんどかったことがあります

前のお仕事は2人だけの部署でした
職人みたいなお仕事ですから、
物と話す方が得意な人が働いていました

痛くて注意も向かないわたし
やっと歯医者さんの予約をとって、
ホッとしてたった1人の同僚に話したら、

「あ、そうだったの?」

声の調子から、
安心したような様子が伝わってきました
わたし楽しい顔はしてなかったでしょう
わたしの不機嫌そうな態度の原因が分からず
ストレスだったのは間違いありません

わたしの様子が、
意味を否定的な方に傾かせていた
そんな経験でした

 


まとめ:伝えることも積み重ね

当人にとっては当たり前でも、
他人に頭の中は見えません

他愛もないお話は単なるムダ話じゃなくて、
互いの関係性をよくする積み重ねですから
伝えられるなら伝えるのって、
けっこう大切なことなのです

分かっているだろうなってことも、
どっちでもいいかな?ってことも

もちろん言わなくてもいいけど
どちらを選んでもいいなら、
伝えてみてもいいかもしれないね
そう思うのです

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違うことはダメじゃない

ダメはないと思うの

わたしは人を許せる考え方が好きです
だからフランクルアドラーから仏教まで、
個人の中にある力を信じる、
そんなやり方を追っています

人がどう生きるかは、
「今その場」で「自分」が決めていることで
その気になればすぐに変えることができます

だから過去がどうであれ、
今のその人がダメとか間違いとか、
決めつけるのは違うんじゃないか?
と考えています

 


見るものはみんな違う

わたしと同じものを信じているはずだけど
他人を「ダメだ」と言う人に会うことは、
けっこうあります
同じものを見ていても、
受け取るものは人それぞれなんですね

「過去の行動がこうだからダメ」
なんて聞くとしんどいなぁと思います

自分をダメだと思って、
上手くやれなかったことが多くて
そういう時に決めつけられるのは、
やっぱりしんどかったからです

前のわたしは、
他人のそういう部分が見えちゃうと、
どうにも気に入らなくて

「それどうなんですか?」
「正しいのはこういう考え方でしょ?」
みたいな言い方して
いちいち突っかかっていました

 


考えはどれも間違いじゃない

今は小出しに言ってみるか、
さもなければ何も言いません
どんな考え方も間違いじゃない
その人の道ならそれでいい
そんな風に考えるようになったからです

これは大乗仏教から学んだ考え方です
特に宗教を信じてる訳じゃありませんが
大乗仏教のフトコロの深さは好きです

この考え方でいくと、
誰かに「ダメ」と言うやり方もそれでいい
ダメじゃないんですよね

他人にダメだと言う人は、
自分もダメだと思っている人でしょう
そういう意味で、
楽じゃないだろうなと思うけど
いろんな道があることを知って、
そこから自分で選ぶのが大切ですから

人が変わるのは自分でこうだと思った時です
自分の考えがどれだけ正しく感じようと
相手を曲げて変えようとするならそれは傲慢
今はそう思います

 


まとめ:違ったっていいじゃんね?

他人との違いって、
思ったより大きなものです
特に物事の受け取り方は、
驚くほど違ったりします

その違いに直面した時、
自分や相手の否定から入るんじゃなくて

あーそうなんだー
わたしは考え方違うけど君はそうなんだねー

って言うくらいの余裕を持って、
いけると楽だよね
そんなこと思うのです

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90度くらいは人生変わるかもしれないこと

お久しぶりね

久しぶりに、
大切に思う人とゆっくりお話してきました

会う機会が全然なかった訳じゃないけど
なんとなくお互い忙しくて、
機会を逸してしまって
まあ仕方ないよねって済ませていたんですが

やっぱり会ってみて、
自分の時間は会いたい人と会うことに、
使っていこうと思いました
時間は命と等価で、
その命は有限だからです

 


ちょっとだけよ

少しだけ考えてみましょう
家族でも友達でも恋人でも構いませんが
いつも一緒にいて他愛ないケンカをしたり、
わがまま言ったりするような人が、
目の前にいるとしましょう

毎日生きていれば、
面白くないことはあります
その人と関係ないことで、
虫の居所がよくないことありますよね?

そういう時、
つまんないことでイラッとしたりして
相手を責めたり、
見もしないで分かれたり
そんなことありませんか?

わたしはたまにやっちゃうんですが

 


それがその人の生きた姿を見る、
今生で最後の機会だったら。
同じことするでしょうか?

 

 


人は必ず死ぬ

人は必ず死にます
100%もれなくあの世行き
遅いか早いかの違いしかありません

普段からそんなこと考えてると、
気が滅入るからなんでしょう
人は都合よく忘れていますが
これは変わらない事実です

死ぬのは自分かもしれないし、
相手かもしれません
災害や犯罪に巻き込まれて行方不明とか、
そんなことだって起こり得る

人の命は有限なのです

 


好きな人だから

わがままを言いたくなるとか、
他愛もないことで責めちゃうとか
それって相手が好きだからですよね

分かって欲しくて、
でもなかなか伝わらないからイラッとする
なんでもない人には期待しないから、
イライラすることもありません
信じてない人には、
ケンカになるようなことも言いません

こちらが相手に期待をしちゃうように
向こうもこっちに期待するから
こちらが信じるように、
向こうも信じるから
こちらが傷つくように、
向こうも傷つくから
つまんないことでもつい言い合ってしまう

それでも当たり前のような顔して、
そこにいてくれる
これってすごいことだと思いませんか?

 


まとめ:180度とまでは言わないけど

わたしはこれを考えるようになって、
少し自分が変わったのを知っています
ニブいから30度くらい. . . かな?
今は他のことも積み重なって、
90度くらいはいってるかもしれません

悲しいこと怒ったりすることはありますが
そこに囚われて長く平静を失ったり、
上手くできない自分を責め続けることは、
少なくなりました

そこにいる人が大切で、
一緒の時間が有限だと知れば、
あたたかい時間をあげたくなります
上手くやれないことがあっても、
素直にゴメンナサイを言葉にできます


もう一度考えてみてください
お互い少ない時間の中でも会えること
大切な人の人生に、
あたたかいものを残してあげられること
嬉しくないですか?

ちょっとそんなこと考えた、
大切な人との時間でした

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宇宙からメッセージ受信するほど睡眠は削らない方がいい

宇宙からメッセージ受信
ご丁寧にイタリックスまで使ってますねー

地こなのららららららららららら、らら、ららら、る、は、?、、、、、、、、、、、、、、、?、、は、は、、、、は


うどんでも食べたかったんでしょうかねぇ?
なんだか楽しそうではあります

やっぱり睡眠2時間とかやっちゃうと、
しわ寄せが来ますね
ブログ書こうとしてたのは覚えてますが
気が付いたらもう朝でした

 


睡眠で分かる自分のコンディション

睡眠にはパターンがあります

睡眠時間は、
体力回復に要する時間によって決まります
疲れていたり病んでいたり、
基礎代謝が高いと長くなる

加齢によって睡眠時間が少なくなるのは、
基礎代謝が落ちて身体の維持に必要な体力が
少なくなるからだと聞いたことがあります
赤ちゃんは身体を作ってるから、
睡眠がお仕事ってことです

わたしは疲れをため込んだりしてなければ、
3.5時間くらいが睡眠サイクルです
眠ってそのくらい経つと目が覚める
2度寝して倍くらいでスッキリします

バランスが崩れていると、
この時間がグッと長くなります
一度目覚めても、
ここから更に眠れたりする

睡眠の様子を見れば、
自分の生活がバランスよく回っているか、
知ることができますね

 


仮眠も効果が大きい

そうは言ってもお仕事して残業でもあれば、
生活のリズムは崩れます
十分な睡眠時間が確保できず、
疲れがたまっちゃうこともあるでしょう
そういう時は仮眠が効果大です

前にお仕事してた時は、
夜は3.5時間で起き出して動いてましたから
睡眠が十分とは言えない状況でした
それで合間合間で仮眠をとって、
しのいでました

経験ある人は口をそろえて言いますが
お昼寝すると、
午後の集中力が全く違います

深く眠ると身体がお休みモードになって、
強い眠気につきまとわれることになるので、
ぐっすり寝ない方がいいとは言われますね

15~20分くらいかな
集中力の必要なお仕事の人ほど、
お昼寝は効果あると思います

 


まとめ:ムリはやっぱりムリなのだ

ムリをすればなんとかしのげたりしますが
ムリはやっぱりムリです
続くもんじゃありません

睡眠足りてないのは、
体力回復が追い付いてないってことですから
もし宇宙からのメッセージが、
スマホに届いてたら

ちょっと早く寝るようにしてもいいかも?
そんなこと思うのです

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つまづいても気が付ければいいよね

それ何のために?

何のためにしているのか?
たまに忘れることがあります
手段に囚われて目的を忘れる
そんなとこです

例えばわたしなら
死ぬとき「いい人生だった」と思えること
これが大切なことです
生きる目的ですね

お仕事も趣味も、
美味しいものを食べたり飲んだり、
好きな誰かと過ごしたり、
何かしてあげることも
全部自分のよいと思える人生を作るため
これらは目的のための手段です

これが入れ替わっちゃうことがある
楽しくないのに誰かのそばに居続けたり
たいして美味しく感じないのに食べ続けたり
何のためにしているのか分からないお仕事も

気が付いて「!!」となること
たまにあるんですよねぇ

 


なんでそんなことに?

「何も考えてない」か「考え過ぎ」か
だいたいそんなところから、
取り違えは起きるように思います

あんまり考える習慣がないと、
場当たり的な行動が多くなります
目の前のことに注意は向くけど、
それでどうしたいのかが抜け落ちちゃう

考え過ぎる人は、
考えない人とタイプは逆ですが
気になる一点に注意を向けすぎて、
目の前しか見えなくなることがあります

どちらにも共通しているのは視野の狭さです
なぜそれをするのか
最終的にどうなりたいのか
たどり着く先が見えていないから、
迷い道に入り込むのだと思います

 


簡単でもいいから地図を描こう

カンペキに先が見えてないとダメ?
そんなことはないと思います
難しく考える必要はありません

わたしの目的地は上にも書いたように、
「死ぬ時『いい人生だった』と言えること」
自分はもちろん楽しくいたいし、
周りも楽しくいて欲しいです
お金はそんなにこだわらない
だから行動もそこに沿ったものになります

手近なことは解決すれば達成感もありますし
目標とするにはいいんですが
それはひとつひとつの道しるべで、
目的地じゃありません

ざっくりでもいいから
おおまかなところを決めるだけでも、
行動に迷ったときに助けてくれます
簡単でも地図を描いておくのは、
大切だと思います

 


まとめ:つまずいてもいいよね

過去はその時の最良の結果です
ひとつひとつの選択に当たった時、
みんな精いっぱいだったはずだからです

もちろん人は弱いものだから、
失敗したと思うことも起きます
でもそれは過ぎたことで、
変えることはできません

どうしても通り過ぎてきたことで、
しなければよかったと感じることがあるなら

次変えればいいんですよね
そこで終わりにしたり、
同じことを繰り返さなければ、
それは『成長』です

精いっぱい生きていれば、
幸せは勝手にやってきます
たまにはつまづいたって構いませんよね?

手段と目的も「入れ替わってない?」って、
たまに自分に聞いてみて
何かあったら気が付ければいいかな?

そんな風に思うのです

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