思いをかたちにしていこう

思いを言葉にする
そしてそれを周りと共有して、
自分の方向をはっきりさせてゆく
 
求めることの方向がはっきりすると、
その人の姿勢もはっきりします
それは外にも発信されて、
合ったものがやってくるようになる
 
独りでは、
何かを成し遂げるのは難しいもの
入ってくる情報も限られるから
何かをしようと思ったら、
こんな循環はとっても大切
そう思います
 
 
 
昨日はお休みの土曜日
友達とゆっくりお話しました
最初は仕事の依頼で知り合った人だけど、
話すと興味の重なる部分がいっぱい
あっという間の数時間、
よいお休みでした
 
最近こんな風に、
興味を持った情報が集まってくるようになりました
交わした言葉や手に取った本から、
求めるものが入ってくる
 
好みがはっきりすると、
いろんなことにピントが合うのでしょう
迷いがなくなって、
選択する物も洗練されていく
好みに自信を持てるから、
他人の目に臆することなく動けるようになる
こういう姿勢が、
さらに情報を運んでくる
 
服装に関してよく感じたことだけど、
これはどんなことにも言えるように感じます
だから好きなことは、
どんどん言葉にした方がいい
 
どんどん言葉にしていくと、
それが自分の道を作ってくれます
そしてそれは、
大切な人の道をもつなげていく
 
 
 
使い方さえ間違わなければ、
言葉は巡って、
周りをつなげて、
また自分に返ってくるから
 
思いを言葉にするのは大切なこと
そう思います
 
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生かすべきはそこにいる人の力

人に依存したものは、
人と共に失われます
 
解くべき問は、
『今の力を最大限生かすには?』
だと思うのです
 
 
 
今の会社
20年くらい働いてます
そんなに難しいお仕事でもなくて、
当たり前と思ってやってきました
 
1年ほど前に新しい人が入って、
わたしの下でがんばってます
決して要領がいいとは言えないけど、
出来ることも増えてきている
 
わたしのスタンスは、
「最善を尽くしなさい」です
自分にはプロとして譲らない線
他人には自分と同じ基準を求めるのは違うと思うから、
お仕事の前提としてのがんばりと、
出来る限りのことをしたか
わたしの目で60点くらい達成できていれば、
それでよしと考えてました
 
 
 
ここしばらく、
トラブルが続きました
どうもわたしの姿勢が原因らしい
考えた末、
そう気付きました
 
同僚たちは、
20年働いたわたしの仕事を基準に考えているのです
60点は許されなくて、
否定されてしまう
 
確かに、
ベストを尽くせばいいものでもないでしょう
提供するサービスの質が、
左右されてしまうのだから
わたしの『60点くらいならいい』は、
アベレージの低下を呼ぶことになる
それは分かるんだけど
 
 
 
わたしはここに、
何ともいえない気持ち悪さを感じます
「サービスの質を保つ」と言えば聞こえはいいけど
合格点があって、
そこに満たない人は切り捨てられる?
まるで強い者だけが生きられる社会の縮図
いつか自分も弱者になるというのに
 
個人の力に頼るのは、
組織の寿命を縮めるのではないか
そう思います
 
理由は何であれ、
人はいつか消えてゆくもの
その人の欠けただけ、
組織の力は弱まるかもしれないけど
全体でカバーする体制が取れていれば、
一時的な戦力低下は凌ぐことができる
 
人の力を見て、
足りなければカバーする
誰かを支えて、
誰かに支えられる
不足を数え上げるんじゃなくて、
そこにいる人が生きられる社会
 
そうなってかないといけないんじゃないか
そう思うのです

 

 

秋に耳をすまそう

秋がきていますね
蝉の声はまばらになり、
夜はコオロギが主役に代わりました
空も高くなって、
朝夕は肌寒さを感じることもあるくらい
空気から感じるのも、
夏草の乾いた匂いから、
雨に濡れた土の香りへ
 
「いつの間にか」
そんな言葉を使いたくなるけど
 
実際にはゆっくりゆっくり、
小さな変化が積み重なって、
目に見えるようになります
 
だから季節の変化に驚くと、
自分がいかに周りに目を向けていなかったか
そんなことに気付きます
 
 
 
忙しいと、
どうしても変化に気付きにくくなりますね
小さな変化にこそ、
大きな秘密が隠れている
わたしはそう思うから、
こんな時は意図してスピードを落とします
 
少しでいいから、
自分の内と外に耳をすます
季節の移り変わる頃は、
特にいろいろなことを感じられます
 
最近は身体の疲れが抜けてなくて、
眠くなることが多いかな
周りから感じる自然の物音
光の変化
 
今が返ることは決してないから
小さな変化に耳をすまして、
丁寧に過ごしたいなって、
そう思います
 
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がんばりを主役に据えても仕方がない

プロとして働いているなら、
可能な限りがんばるのは当たり前です
 
だからトラブルが起きた時、
対応策が「がんばる」では困ってしまう
がんばってダメだったんでしょ?
がんばらなかったワケじゃなくて
 
人やがんばりに原因を求めないで、
改善できる部分を探す
がんばることは主役じゃない
そう思います
 
 
 
がんばり
努力や根性みたいなものでしょうか
どんなに才能があっても、
努力しなけりゃ光らない
自分の取り組みを成功させたいなら、
がんばることを選ぶ人は多いでしょう
 
人それぞれ基準は違うけど、
プロは仕事でお金をもらってます
手を抜くようではお話にならないから、
やっぱりがんばる人は多い
 
仕事でがんばることは、
ある程度前提としてあるのです
だからトラブルが起きた時、
その人が遊んでいたのでもない限り、
改善をがんばりに求めても意味がない
 
 
 
自分を努力不足と思う勤勉さは、
悪くないけど
それなら具体的に何か変えたほうがいい
同じやり方には、
同じ結果が返るだけですから
 
人やがんばりに原因を求めず、
今までと違う見方、
違うやり方をしてみる
ミスの出てしまうシステムや環境、
それをカバー出来ない状況はないか
あればまずそこを改善する
 
がんばりはお仕事の主役ではないのです
トラブルの主な原因にもなり得ないし、
解決策にもならない
わたしはそう思います
 
 
 

過去は流してあげよう

つらかったことも、
楽しかったことも
過ぎたものは返りません
 
脅かされるように感じても、
幸せを感じても、
それは亡霊なのです
 
忘れなくていいけど
今を大切にするためにも、
過去は流してあげなきゃいけない
そう思います
 
 
 
 
過去に囚われて抜け出せない
そんな人に出会うことがあります
 
いじめられた痛み
叶わなかった思い
前のわたしもそうだったから、
会えばなんとなく分かるの
 
自分を思い返すと、
その時を生きていませんでした
今を生きる勇気がないから、
過去に執着していた
過去に執着するから、
今を大切に出来ない
そして新たに失われた今に気付いて、
また過去に逃げ込む
 
過ぎ去れない過去は、
流してくれるのを待っています
引き留め続ければ、
過去はその人に、
その人は過去に、
傷つけられ続けるから
 
 
 
過去は夢みたいなものです
覚めなければ、
残るのは過去に満たされた人
そこにいるのに、
そこにはいない人
 
理由があってそうなってしまう
それもすごく分かるけど
 
過去は囚われた人を見て喜ぶでしょうか?
きっと過去はそれを望まない
わたしはそう考えて、
前に進む選択をしました
 
急ぐことはないし、
出来るときでいいから
 
顔を上げてみてほしいなって
そう思います
 
 
 

原因1つで満足しちゃうの?

何か1つを槍玉に上げるのは止めましょう
それをした瞬間、
他の要因は目に入らなくなって、
改善のチャンスも失われる
 
ある出来事の原因は、
1つではありません
犯人探しには、
何の益もないのです
 
 
 
「何かのせい」
そんな結論を出したがる人
よく見かけます
 
いろんなことが重なって、
出来事は引き起こされるものです
原因が1つなんて、
よほどスケールの小さなことでもない限り、
あり得ないのに
 
 
 
面倒を避けるために、
人はいろいろ単純化したがります
差異を無視して同一視したり、
議論を飛躍させたり
 
内面化された思いもあるでしょう
普段から問題意識を持つことは、
原因として認識されやすくなる
 
純化すれば、
処理は早くできます
人の場合は. . .それほど簡単じゃないから、
関係性の濃さに従って、
どんな解決をするかが選択されますね
 
 
 
全てを処理するのは、
人には難しいのでしょう
時には単純化が必要なこともある
だけど何かを変えようと思ったときには、
それでは上手くいきません
 
1つの答えで満足して、
他の可能性を見ることを止めたら
その答えに対応した部分は変わっても、
他の部分は変わらない
それじゃ解決にはなりません
 
 
 
大切なのは、
原因が1つではないと知ること
面倒でも、
分かったひとつひとつに対処すること
 
全て分かってからでは遅すぎることも、
いっぱいあるから
個別に対応していくのもいいでしょう
 
でも原因はそれだけじゃない
1つで終わらせたら、
結局大きく変わることはない
それは忘れちゃいけないんだって、
そう思うのです
 
 

幸せは『いいとこ取り』でいい

トンネルに入ったら、
「トンネルに入ったなぁ」でやり過ごし、
春が来たら光を喜ぶ
 
幸せは『いいとこ取り』でいいと思います
苦痛は必ず行き過ぎ、
幸せな時は素直に喜ぶ
 
簡単なことだけど、
それくらいでいいんじゃないかって
そう思います
 
 
 
毎日まいにち、
いろんなことが起きます
ひとつひとつ悩んでいたら、
疲れてしまう
 
人は明るい日の下を歩くこともあれば、
トンネルに入ることもあります
大切なのは、
時々の状況に対して、
どれだけ柔軟に幸せを見い出せるか
 
 
 
欧米の人は「能力や環境がいちばん高い状態が幸せ」で、
東アジアの人は「人並みほどほどが幸せ」
なのだそうです
バランスや調和を重視するわたしは、
東アジア的でしょうか
 
いろんな視点を持ち、
状況に応じて見方を変えられれば、
得るものは大きくなります
そう考えると、
幸せはいいとこ取りでいい
そう思います
 
どんな状況もいつか変わります
だから状況がよくない時でも、
絶望するにはあたりません
投げ出したらそこで終わってしまうから、
耐えて時を待つ
 
幸せを喜ぶと幸せが逃げる
たまにそんなこと言う人もいるけど、
気にしなくていいんじゃないかって思います
命は短いのだから、
わざわざ自分の幸せを捨てるようなこと、
しなくていい
 
 
 
東アジアの価値観が強い日本では、
幸せもいつか消えるって考えもあるでしょう
確かに幸せにも変化はあるから、
慣れて大切にすることを忘れれば、
終わるときが来るかもしれない
 
例えそうだとしても、
失われる可能性ゆえに絶望するのではなく、
あることを慈しむのが大切じゃないかって思います
 
 
 
幸せはいいとこ取り
よくない状況は変化することを信じ、
幸せは素直に喜ぶ
シンプルにそんなことが大切だなって、
改めて感じています