何を受け渡す人になるか?

自分が苦労したことを、
後から来る人に伝えるとき
何を受け渡していくか?

目の前の人に、
受け渡す役割を担っているのは自分だから
よく考えていこう
そう思います

 


「同じ思いをさせてやれ」という人

「嫌な経験に耐えたんだから、
後から続く者にも同じ思いをさせてやれ」
「お前らだけ楽するのはズルい」
こういう人がいます

嫌なことって、
忘れるのが難しいところがあります
嫌なことを記憶して、
次のダメージを受けにくくする
生き物としては仕方ないのかもしれませんが

こういう人からは、
嫌なことが優先して伝えられていきます
イジメだったり、
非効率なやり方だったり

こういうの見ると、
何が目的なんだろ?って思います
嫌なことを伝えること、
自分の中の歪みを、
解消するのが目的になってるからです

 


ズルいと感じる裏にあるのは

嫌だったことが改善されて、
後の人が苦労せずに済むようになる
そこにズルいと感じる裏側には、
自分が割を食ってるような、
そんな理不尽さへの悲しみがあるはずです

悲しみが当たり前のこととされたり、
無駄なことになったように感じるのに
誰にも分かってもらえない
人はこんなとき悲しみを感じます

分かってもらえない悲しみ
後から続く人たちと比べて、
自分がマイナスみたいに感じる気持ち
それが怒りの形で、
立場の弱い人に向かうわけですが

後から続く人たちも、
みんなこころを持つ人です
理不尽なことがあれば悲しい
それは自分と変わりません

周りをマイナスして差を解消するのではなく
自分をプラスして差を感じなくする方が、
自分も周りもいいと思います

 


その悲しみはムダじゃないよ

悲しみがムダになったように感じる
それは自分が感じていることです
逆に言えば自分が認められれば、
悲しみは解き放てるということ

がんばったことは、
自分がいちばんよく知っています
だからまず自分がそれを認めてあげること
それが大切です

そんなの分かってるって言われそうだけど
こういう部分で自分を大切にしてる人、
意外と少なく感じます
「自分はまだ足りない」
「自分はまだダメだ」
そんな言葉よく聞きますからね

自分が苦労したことは、
改善のために必要だったこと
そのおかげで、
後から続く人が理不尽な思いをせずに済む
これは大きなことです

周りの人がひとこと言ってくれれば、
それだけで良かったりするんですけどね
もし何も無かったとしても
悲しみはムダなんかじゃないのです

 


嫌な思いを伝えるか伝えないか

何かをするとき
苦労や嫌な思いは結果の1つに過ぎません
これは受け渡す側が経験したときも、
同じだったはずです

苦労や嫌な思いで成長することも、
時にはあるでしょう
つらさを乗り越えた先に、
強さがあるのも真実だと思います
かわいい子には旅をさせよ
こんな言葉もありますしね

反面で、
人の集中力には限界があります
ストレスを減らせれば、
余力は他に回せるようになる
ミスの可能性だって減らせるでしょう
不必要なことをなくすのは、
よい仕事には大切な要素です

どちらにしても、
目的は別にあるはずです
後から続く人に苦労させるか、
自分のところで止めようとするか
それはその人が決めることなのです

 


まとめ:何を受け渡す人になるか

自分はどんな人になるか?
苦しみを送る人になるか、
止めた人になるか
送るのなら何のために?

簡単には何がいいのか分からないけど
理不尽さを送るのは違うと思うから

受け渡す役割を担っているのは自分
何を渡すのか決めるのも自分だから
よく考えていこう
そう思うのです

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