カミングアウトの余波

少しブログに書くのが遅くなりましたが
お正月は田舎に行ってきました
毎回起こる父とのすれ違い、
今回も起こりました


去年の夏のこと

9月に『OUT IN JAPAN』で写真を撮るし、
講師オーディションの挑戦も決めていたから
わたしは夏に自分のことを父に話しました

細かい言葉までは覚えてませんが
「男性として生きることをやめて、
男性と女性の真ん中の生き方を選んでいる」
そんな風に話したと思います
トランスジェンダーとかLGBTとか、
分かりにくい言葉は使いませんでした

両親は、
特に父はいちばん話せなかった人です
カミングアウトっておかしなもので、
身近な人になるほど話しにくいものです
拒絶された場合の痛みも、
より大きなものになりますから

父は昭和の価値観の人ですから、
受け入れがたい部分もあるでしょう
厳しい反応を予想しましたが
結果は心配するようなこともなく、
穏やかな様子でした

その時は話せたことが嬉しかったから、
ブログに書いたり友達に話したりして
ホッとして、
胸のつかえが取れたのを覚えています

 


余波

11月頃から安定しているとは言えない印象を
父から受けていて
なんだろ?と思ってましたが

今回分かりました
父はわたしの話を全く覚えていないのです

わたしは伝わったと思っているから、
写真やNHKで報道された様子を送りました
それがショックだったようで
ずいぶん悩んだようです

「お前はそんな話しはしていない」
と言われました

 


思うことの変化

わたしから見た事実は、
「わたしが話したことを父が覚えていない」
父から見た事実は、
「わたしが話していない」

いくら話しても平行線でしょう
ここは伝わらなかったと思う他ありません
最初はキツいなと思いましたが

人によって見える事実は違います
見たいものを見て、
見たくないものは見ない
あるいは見えないのが人でしょう

わたしもしつこく確認したわけじゃないし
伝わりやすい話し方をしたとは、
言えなかったかもしれません

時間はかかりましたが
「そんなこともあるかなぁ」と、
少し落ち着いて感じられるようになりました

 


まとめ:覚悟を持って生きよう

前のわたしが両親に話せなかったのは、
簡単に言えば信じなかったからです
たとえ父親が受け入れなかったとしても、
そういう相手を受け入れる覚悟は、
わたしにはありませんでした

行き違いはありましたが
今の父はわたしの生き方を、
父なりに受け止めようとしてくれています

わたしが抱えていたトランスへの偏見は、
半分くらい家で形作られたものです
父の中にも同じものがあるはずですから
楽ではないかもしれませんが

何とかできるのは自分のことだけです
他人のこころはどうすることもできません

他人のどんな反応も受け入れる覚悟は、
自分が選んだ生き方への覚悟でもあります
これからあとどのくらい、
自分が生きるのか分かりませんが

覚悟を持って生きよう
そう思うのです

f:id:ichapy:20200131235330j:image