成長はトッピングだということ

なりたい自分の影に
欠けている自分がいるのは寂しい
たとえ今ゼロであっても、
それはマイナスじゃないのよ?

そう思います

 


なりたい姿は?

これからこうなりたい
最近よく考えます

なんだか子供みたいだけど、
可能性はいろいろあって
どんな自分をのばすのか?
「10年後こうなりたい」ならどうするか?

例えば今から5年後
このぐらい進んでいるためには
今から2年後には、
このくらい手を着けてる必要がある

そうやって未来の足場が決まってゆく
完成した自分の姿を考えて、
目指す場所との距離を埋めていく
楽しいものです

 


自分はマイナスじゃないよ

前のわたしも、
今と似た考えをしていましたが
ぜんぜん違う部分があるのを知っています

今の自分が理想と離れた場所にいるとして
その場所は1の時もあれば、
0の時もある
でも決してマイナスじゃないということ

それを知ってるだけで、
ずいぶん楽だなって思います
欠けて穴だらけの自分じゃなくて、
全て揃った自分の姿がスタートだからです

 


成長はトッピングみたいなものだ

「人は生まれながらに価値がある
だからそのままでいい」
こんな言い方に対して、
「足りない自分だからこそ、
前に進もうと思うのでは?」
と言われたことがあります

まあ考え方の違い、
表現の違いと言われればそれまでです
実のところ前のわたしもそう思ってた
だから気持ちは分かるように思いますが

足りない自分と考えるのは、
ちょっと寂しいなと思います
出来ないことを足りないと考えるなら、
今の自分は穴だらけです

暗いことに気付かなければ、
ある光にも気付かない
それも事実ですが

たとえ理想と距離があったとしても、
それはマイナスじゃありません
自分に必要なものは揃っている
成長は自分の好みで追加されるもの、
トッピングみたいなものだと思います

 


まとめ:足りない自分じゃないのよ

足りないことを数えていると、
自分に欠けた部分にばかり目が向きます
人は全てを手に出来る訳じゃないから、
穴が埋まることはありません
もしどこかが埋まったとしても、
次の穴が目に入るだけです

欠けていると思うことも、
先に進むモチベーションにはなるでしょう
ただ自分が欠けていないと思う方が楽
圧倒的に楽なことは間違いありません

なりたい自分がある
素晴らしいことだと思います
でもその前提にあるのが欠けている自分なら
やっぱり寂しい

理想との距離を考えたとき
その場所との違いはあるのかもしれないけど
マイナスじゃないから
足りない自分と思わなくていいから

そう思うのです

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