自分の可能性を信じてみよう

普段の自分ならやらないこと
怖くて後込みしてるのを
虚勢を張って隠したりしてること

もし自分が変わりたいのなら?
やってみてもいいかもよ?
可能性ないはずなんてないから
そう思います

 


ビジネス交流会

ビジネス交流会というものに出てみました
いろんな人が集まって、
自分のやっていることを売り込んだり、
人を紹介したりする場所

正直言うと、
わたしこういう場所苦手意識があります
今までは額縁屋さんの工房勤め
仕事は営業がとってきてくれました
社内で作業に集中してれば良かったから、
人との交流がある意味必要なかった

やらないことは知識も経験もつきません
マナーも覚えない
そのまま年齢も上がる
機会を敬遠する
ますます知識や経験に他人と開きができて. . .

必要ないからいいよね?
そんな言い訳で逃げ続けていたけど
言うまでもなく悪循環です

これからは1人
と言うより今までも1人だったけど、
目を背けていたんですね
会社の庇護の元にいたのは間違いないけど
それも一生続くようなものじゃないですから
やった方がいいことだよな
そう思っての参加でした

 


実際出てみた感想

みんな頭の回転早いなぁ
そう思いました

相手の言うことに、
自分の視点から質問したりするんですが
ポイントを的確に押さえていて、
相手の魅力を引き出してくる

自分の聞きたいことを聞くだけなら、
まだそう難しくないとは思います
でもそこに相手を引き出せるかが加わると?

話をよく聴いて、
その人のやっていることの本筋を、
的確に押さえなければ出来ないと思います

自分のやっていることのプレゼンも、
考えられていて分かりやすい
これは積み重ねもあるとは思いますが

人も生き物です
同じやるなら楽しかったり、
興味をひくものの方がいいでしょう?
ただ説明すればいいってもんじゃない
相手に「あーそれ面白いね?」って、
気持ちの引っかかりを感じてもらえるように
そんな部分が考えられていると感じました

 


三つ子の魂

わたしの中には、
内向的な自分と外向的な自分がいます

小学校の頃鍵っ子で、
校区のギリギリに住んでて友達も少なくて
家で過ごすことが大好きだったわたし
落語の怪談ものとか好きで、
親戚の子や友達に話すのが好きだったわたし

子供の頃って可能性の塊
わたしの中にある可能性の、
どちらも適当に伸ばしていたのでしょう
それが中学生あたりでいじめられたりして
内向的な方のウェイトが高まりました

人を信じられなくなって、
人と話す機会が減ります

わたし人の気持ちが分からないと感じます
それでなるべくたくさん聴いて、
少しずつ絞り込んでゆく
そんなスタイルで話を聴いていきます
なので「パッと聴いてパッと答える」のは、
ちょっと難しさを感じます
子供の頃の影響は大きいでしょう

でもこれ
裏を返せば外向的なわたしも、
まだどこかにいるわけで
やりようによって何とでもなる
そう感じました

わたしには子供いないから分からないけど
子供はそれぞれ小さい頃から、
すごく違うって聞きます
やっぱり得手不得手はあるのかもしれない
でもそれだって、
可能性がないわけじゃありません

自分の中の可能性
信じてもいいのかなって思います

 


まとめ:自分の可能性を信じてみよう

たどたどしかったと思うけど
それでも交流会から得るものはありました
わたし人が好きです
それが救ってくれたのかもしれません

今までやらなかったから
苦手だから
そんな理由をつけ続けていたら、
今のこの気持ちはなかったでしょう

同じことをやっていれば同じ結果が出る
それが真実なら、
違うことをやれば違う結果が出るのも、
真実ですよね

怖さから虚勢を張っても、
自分の可能性を殺すことにしかなりません
もし自分が変わりたいのなら?

やったことないこと、
やってみたら?
自分の中の可能性、
きっとあるはずだから
そう思うのです

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