自己肯定感を上げるには?~⑥過去は鎖じゃない

自己肯定感を上げるために、
どんなことをするのが有効か?
前回は、
「こころと言葉と行動がそろってると楽」
ということを書きました

この3つがバラバラだと、
自分も他人も混乱します
思う未来もやって来ない

だからそうする特別な理由が無いなら
思いと言動をそろえるように、
気にしてみるといいよ
そんな内容でした

今回は、
過去と未来に関する考え方についてです

 


過去は鎖なのか?

結論から書きます
過去は鎖じゃありません

「過去こんなことがあったから」
行動の原因を考えて、
こんな風に言う人がいますが
わたしはこれには違和感を感じます

人はいつでも変わろうと考えたとき、
変わることができます
自分の行動も選ぶことができます

原因論に人が縛られるというなら、
人の行動は変えられず、
選択する行動も限られてしまうことになる
そんなのおかしいと思いませんか?

同じ原因に触れた人が、
全て同じ行動をとるわけじゃありません
PTSDや虐待の連鎖のように、
影響があるのは否定しませんが

人には可能性がある
未来は今から先に開けていくもので、
ここにおいて、
過去は鎖じゃないのです

 


人生は自分のものだよ

上の考えは、
「自分の考えや行動は自分のものだ」
という考えに基づいています

人生は誰かのものじゃありませんよね
であるならその行動も、
誰かに決められたものじゃないはずです

環境や資源など、
関わってくる要素はありますが
「選択する力が自分にない」
ということにはなりません

人生は自分のもの
選択も自分のもの
だから未来も自分で選べるのです

 


選択に関する例外的なこと

人生がその人のものである事実は、
どんな状況でも変わりませんが
選択するときに、
いくつか例外的な事柄はあります

子供時代のように、
養育してもらわないと生きられない環境では
親の影響が大きなものになります

社会経験の乏しい子供は、
判断が及ぶ範囲も狭くなります
保護して育てる存在への愛着は、
子供に影響を与えることが知られています

繰り返される暴力によって、
こころが折られてしまうこともあります
これは身体的なものに限りません
言葉によるこころへの暴力もあります
いじめや虐待は、
暴力で人生を奪われた状態と言えるでしょう

人の思いは強いもので、
「自分にはできる」と思えば、
可能性は大きく広がりますが
「行動がここまでしかできない」と考えると
本当にそこまでしかできなくなります

暴力の恐ろしさはここにあります
自由と判断を奪われてしまう
こういう場合、
軽々しく自由と言うのは難しいと思います

 


まとめ:過去は鎖じゃない

自分を肯定するということは、
自分にも他人にも違った人生があり、
それを肯定していくということです

繰り返しになりますが、
わたしたちは自分の人生を生きています
その人生は今、
自分で選んでいるものだから

過去になんて縛られなくていい
過去は鎖じゃない
そう思うのです

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